「技術的失業」1930年代にケインズが作った用語。
1960年代は25-54歳のアメリカ人男性で労働市場から締め出されていたのは6%程度だったが、今日では12%程度になっている。非大卒男性が実入りの良い仕事に就くのは困難になっている。
生産性バンドワゴン。労働者の生産性と限界生産性が両方高くならないとバンドワゴンは起きない。オートメーションは限界生産性を下げる可能性がある。
1850年代後半、エジプトのスエズ運河を閘門なしで建設するアイデアを得たレセップス。1858年10月1株500フランで40万株を売り出す。11月末までに23,000人が株を購入し、21,000人がフランス人。イギリスではあまり売れなかった。1861年掘削が始まる。当初はスルタンによる強制労働だったが、スルタンの死去で協力が得られらなくなったとき、新しい浚渫船による労働生産性向上が寄与した。1869年11月運河開通。帆船から蒸気船への転換で運河の利用が増える。1880年までにスエズ運河会社の株価は4倍となり、配当は15%に達した。レセップスは「偉大なフランス人」となる。
パナマでは失敗した。1878年レセップスはコロンビア政府から免許を得る。1879年パリ会議で米仏議論。最終投票に際し、73歳のレセップスが自分で指揮をとると表明。パリ会議のあとようやく自分の目で地形を見たが、細部への気配りを忘れ、工数を過少に見積もる。思い込みが強すぎた。1881年2月地上作業開始、1888年末までにパナマ運河会社が破産。1904年アメリカ人がプロジェクトに乗り出す。
中世の代表的テクノロジーは水車や風車を利用した粉ひき場などの加工場。1100年から1300年の間に一人当たりの農業生産性は15%上昇したと見積もられる。しかし、農民の暮らしは楽にならなかった。余剰の一部は都市人口に、多くはエリート層に吸い取られた。ほとんどは支配階層であるキリスト教会がほとんどを食い尽くした。1300年には聖職者全体でイギリス農地の三分の一を支配していた。宗教の権威は国王よりも強かった。フランスでは1100年から1250年まで総生産高の20%が宗教施設の建設に費やされていた。中世ヨーロッパでは新しい機械の導入は労働者に賃金上昇にはつながらなかった。労働者が移動できず、労働市場がなかったためだ。
イギリスでは16世紀半ば以降、地主と修道院の支配力が弱まり、実質賃金が上昇した。囲い込みの歴史は農業再編の選択肢が支配層にうまく利用されたことを示す。ホイットニーの綿繰り機は新しい技術が奴隷制を悲惨なものにしたことを示す。
イギリスだけが他の諸国と違って産業革命を起こせたのは18世紀~19世紀半ばに社会的変化の累積結果として成り上がりものの国になっていたため。ミドルクラスのイギリス人が専門能力と起業家精神を通じて地位を大幅に上げようとする。